2013年12月3日火曜日

ダジャレやパロディーのコストパフォーマンス

どもっ!インパクトマーケッターの福谷です。


個人的な話で恐縮なんですが、私は学生時代に「ダジャレは口にしない」と決めて、もう30年くらい暮らしています。

メルマガやフェイスブックの記事のタイトルに言葉遊びとして入れる事はありますが、日常会話の中で口にする事はほとんどありません。

その分たまに、言うつもりも無いのに言葉の流れでちょっとダジャレっぽくなってしまった時などは、必要以上に「いや、今のダジャレちゃうから!ホンマにちゃうからっ!!」と必死なくらい否定したりして恥ずかしさを逆に加速させてしまう事もあります(笑)


ダジャレ。こんなどうでもいい事を、わざわざ言わないと決めたのには幾つか理由があります。


いわゆる普通のダジャレは、誰でも比較的簡単に言えるけど、失笑程度以上のウケが期待出来ないという、言葉通り「洒落」の「駄作」だという事がまずひとつ。

ダジャレを好んで使う人に限って、ダジャレを言い放った後で「どう?今の」的なドヤ顔をするのが個人的に耐えられない事(笑)がひとつ。

要するに、言葉遊びとしてはアリだと思うし、よく出来たダジャレには「上手い!」と感心もするけれど、決して激しく感情が揺さぶられたり横隔膜が痙攣する程「オモロいーーっ!!」とはならない事が経験上わかっているので、じゃあ最初から言わない、と「禁じ手」にしたわけです。


さて、これだけ冒頭からダジャレの事をディスって、ここまでで数人は敵を作ったわけですが(笑)これを宣伝広告で使うとなると事情が違ってきます。


商品名やキャッチコピーの中で、このダジャレ的な言葉遊びを目にする事はよくあります。

言葉遊びだけでなく、何かを元ネタにしたパロディーを使うケースも目にします。


日用品や、どっちかと言うとB級指向のモノ程、こういったダジャレ傾向が強いように思いますが、これは実に理にかなった手法なんです。


ダジャレもパロディーも、どちらも「元ネタ」が必要です。

オリジナルネタありきのダジャレ、オリジナルネタありきのパロディーなのですが、どちらも広く認知された元ネタの力を借りて簡単にイメージしてもらう事が出来るというメリットがあるんです。


例えば映画。

産みの苦しみで製作され、膨大なコストで宣伝されて大ヒットしたとします。

それをちょっとイジって、パロディーのコントをテレビのバラエティ番組で放映する。

よく見る光景ですよね。


面白いコントをオリジナルで作ろうと思えば、相当なセンスや労力が必要です。

ところがパロディーは、既に誰かが苦労して産み出して、宣伝の限りを尽くし世間に認知させたオリジナルを、ちょっと触って茶化すだけ。

とんでもなく楽ですよ、多分これを読んでるほとんどの人にも作る事が出来ます。


一方で観る側の人間は、勝手にオリジナルネタを頭に描いてパロディーとの対比を楽しみます。

頭の中でオリジナルとリンクされるので、とても記憶に残りやすい。

パロディーのコントは3分やるだけですが、受け手はバックグラウンドとしてオリジナルの映画2時間をちゃんと頭の中に呼び戻した上で観てしまいます。


他人が英知を集めて作って広めた「100」の力を利用して、それに「1」の労力を足しただけで「30」くらいの効果を得る、これがパロディーです。


オリジナリティにこだわり、いばらの道を登り、「100」という創作活動の頂点を目指す事はもちろん素晴らしい。

ダジャレやパロディーも、他力本願でメインストリームに乗る事など出来ないけど、かける労力と効果のコストパフォーマンスは素晴らしい。

どちらが優れているとかではないんです。

私達商売人は、状況で使い分ければいいと思います。

商品のネーミングやキャッチコピーで、言葉遊びや語呂合わせを用いたモノが耳に残りやすいのは、頭の中で勝手に「オリジナルネタ」との関連付けが行われるからなんです。

利用しない手はありませんよね。



とはいえ、ダジャレもパロディーも、結局オリジナルをどうイジるかはセンスなんですけどね(笑)

商売人は言葉を大切に選ぶ習慣をつけましょう。



リンクの悪戯結社、オモロイとは思いますが、そういう観点から言えば
「お前らずいぶんラクしてるやん」という感じ。


Twitterに突如出現した悪戯結社【反広告社】が謎すぎる!!! - NAVER まとめ

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